「トランジションへのみち 第一回」高麗郷住民 上野文康

「トランジションへのみち 第一回」高麗郷住民 上野文康

はじまります

 連載記事を書くことを引き受けて、ぐずぐずと時間を過ごしてきた。

トランジションにしても、気候変動にしても、問題が大きく複雑に絡まっており、未整理なことがいっぱいで、なかなかスタートできない状態がつづいた。でも、ようやく始められるところに来たように思う。タイトルからしてなかなか決まらなかった。

例えば、「トランジションを生きる」と決めた時も、そんな実録風·実質的な書き方ができるものなのか自問すると、心もとないのだ。それで、ようやく「トランジションへのみち」に落ち着いたところだ。これは「トランジションへの未知」という意味であるのだが、それを探りつつ日々を歩んでいくのが「トランジションへの道」というものでもあるだろう、という含意がある。




トランジションと出会う

 「トランジション」ということばは日本では新しい。

このことばを、わたしは昨年、松尾 万葉香さん(日高市議会議員)たちが使い始めているのに接して、はじめて知った。彼女たちは、石油資源に頼らない社会をつくろうとするイギリスのトランジションタウンの実践を紹介し、高麗においても、この試みをしていこうという提起をしているのだった。

これは今、噴出している気候変動問題への世界的な危機感を、わたしたちの生きている現場で受けとめようとする決意のあらわれだったに違いない。若い世代の議員として勇気ある提起だし、動きの自然さ、真っ当さを私は感じた。遠いところで起こっている出来事をニュースとして聞く、というのではなく、自分たちの問題にしていく感覚がここにはある。このような場に遭遇して、自分なりの参加と協力をしたいと思った。

日産・ノートの快適さは・・・

 「トランジション」ということばにもどるが、脱石油社会に向けてのトランジション(移行·転換)ということを真剣に考え始めると、どうも無力感のようなものにとらわれてしまう。あるいは、現実との乖離感のようなもの。最近の私のことから話してみよう。これを書いている数日前に、私は10年間使ってきたダイハツ·ムーブが限界に近づいたので、中古車をさがし、日産·ノートを手に入れるということがあった。

はじめ、せめてものこととして、トヨタのハイブリッド車の中古を探したのだが、手ごろなものが見つからず、ノートに落ち着いたのだ。ところで、このノートが安い中古車とはいえ、きわめて快適で、乗っていてとても喜ばしいのである。私は如何ともしがたい感覚に襲われる。この感覚をうまく言うことができない。

①仕事と生活上、自家用車は必要である。
②私は「トランジション」つまり脱石油社会を目指すプロジェクトに参加しようとしている。
③最近入手した日産ノートに乗るのは実に快適な時間である。

上記の三つのことが合わさると私の心身は折り合いのつかない場所と化してしまう。その先に、私は実は「トランジション」などに近づくことなく、5年、10年と時間が経ってしまうという、そんな予感がとてもリアルにやってきて、いかんともしがたい気持ちになってしまう。

こんな具合なのだが、想像していただけるだろうか。

心のケアの問題

ここで思い起こしたいのが、環境活動家・谷口 貴久さん(ヨーロッパ在住、昨年日高市で講演、youtubeで観れます)が語っていた、ヨーロッパの少女たちの声。彼女たちは気候変動がもたらす明日の日々を思うと、もう学校に行っていることもできないと言っていた。また、別の子たちは、子供を産むことも拒否したいと言う。

鋭敏な若い女性にはこのようにショッキングなかたちでこの問題が現れてきている。一方、平均的な生活者であるわたしたちには、問題の深刻さを前にしても、何もできそうにない無力感がひろがる。人間と社会にかかわる問題には、すべて心の問題がかかわってくることは当然なのだが、この問題は深く心身を貫く場合もあることを心しよう。気象変動も脱石油問題も文明と世界の存続の根幹を貫くものであるからだろう。

トランジションへの未知

私はこの連載を、「トランジションへの未知」として始めていく。

「トランジションへの道」を私たちはあきらめることなく切り拓いていかなくてはならないのだが、その道が、どのようなものであるかは、そのすじみちも、方法も、様相も、未知の領域が多いことを留意して進んでいきたい。

今年になってNHKが放映した『2030未来への分岐点』シリーズ(①気候変動②食料問題③プラスチックごみ問題、まで放映)は、気候変動はじめ「トランジション」にかかわるもので、この問題を日本社会にひろげる画期としていこうという意気込みを感じさせるものである。しかし、内容は危機のシナリオをヴァーチャル映像で構成している部分が主体になっていて、粗雑であり、いたずらに危機をかきたてるという印象を持った。

ベストセラーとして書店に並んでいる斎藤幸平『人新生の「資本論」』(集英社新書)は注目すべき内容を含んでいる本だと思う。この連載でも取り上げる予定だが、現実へのアプローチは、柔軟性を犠牲にして唯一の正解を求めて急であるという印象があった。

トランジション·タウン高麗(TTKoma)の試みは、ふつうの市民が地域社会の日常のなかからアプローチしていくことが基本になっていくはずだ。この問題では国連がSGDsというプロジェクトを立ち上げて活動を始めている。政府の動きも自動車産業界への働きかけなどとして目に見えるものとして出てきている。一方、東大でグローバル·コモンズ研究センターが始動している。

TT Komaは、こうした内外の情勢を追い風として、小さな動きを重ねていけばいい。地域の日常における具体的な活動という位置が、一つの基準点であることを意識して他の様々な動きに呼応できる力をつけていけるといい。

トランジションへは半世紀前から存在していた

最後に、次回の予告です。

「トランジション」は半世紀前から存在していた、ということ。このことを忘れてはならない。最近になって、より深刻化した状況のなかで問題が再提起されているといえる。この半世紀を私の半生とともに振り返ってみる。

 

▼上野さんが主催+オーナーをつとめるカフェ日月堂

▼トランジションの参考になる本


この記事を書いた人

Cafe日月堂店主上野 文康
20世紀半ば、丹波篠山(兵庫県)の片田舎に生まれ、高度経済成長期 日本社会の誕生・生成・変貌のなかで少年・青年期を過ごしました。リベラルアーツを志し1970年代に大学で、その後約30年間高校社会科教員として学んできました。辿り着いた地平は、自分の生きている場をオルタナティブ・ライフ・センター(ALC)への道としてつくっていくことでした。その足場として高麗本郷に土と木の家を築いて10年。そして今、T・T・Koma というプロジェクトと出会っています。「トランジションへのみち」という記事を書いていくことは、私の地平(ALC)を私たちの地平(T・T・Koma)へと繋ぐノートをつくっていくことだと思っています。
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