〈詩線をつなげて〉第一回 高麗郷住民 上野 文康 

〈詩線をつなげて〉第一回 高麗郷住民 上野 文康 




2021年4月
Ⅰ 詩を読む

 

もっと強く
茨木のり子

もっと強く願っていいのだ
わたしたちは明石の鯛がたべたいと

もっと強く願っていいのだ
わたしたちは幾種類のジャムが
いつも食卓にあるようにと

もっと強く願っていいのだ
わたしたちは朝日の射す
あかるい台所がほしいと

すりきれた靴はあっさりと捨て
キュッと鳴る新しい靴の感触を
もっとしばしば味わいたいと

秋 旅に出たひとがあれば
ウィンクで送ってやればいいのだ

なぜだろう
萎縮することが生活なのだと
おもいこんでしまった村と町
家々のひさしは上目づかいのまぶた

おーい 小さな時計屋さん
猫背をのばし あなたは叫んでいいのだ
今年もついに土用の鰻と会わなかったと

おーい 小さな釣り道具屋さん
あなたは叫んでいいのだ
俺はまだ伊勢の海もみていないと

女がほしければ奪うのもいいのだ
男がほしければ奪うのもいいのだ

ああ わたしたちが
もっともっと貪婪にならないかぎり
なにごとも始まりはしないのだ

 

茨木 のり子(1926年6月12日 – 2006年2月17日)
日本の詩人、エッセイスト、童話作家、脚本家。主な詩集に、『見えない配達夫』『鎮魂歌』『自分の感受性くらい』『倚(よ)りかからず』など。戦時下の女性の青春を描いた代表作の詩「わたしが一番きれいだったとき」(1958年刊行の第二詩集『見えない配達夫』収録)は、多数の国語教科書に掲載されている。

 

Ⅱ 2021 文学的考察(4月)

 

Ⅿからの手紙

昨夏、日月堂に、かつて僕が担任をしていた高校クラスの元女生徒(M)が訪ねて来てくれた。

彼女は活発で、自由奔放で、何よりも知的好奇心あふれる女の子であったのだが、今は京都に住み、大阪の博物館なんかで「骨の学校」というようなワークショップを開いていたりする。

その彼女から、しばらくして手紙がやって来た。そこには、日月堂から京都の家に帰りついて、茨木のり子の「もっと強く」を十回ほど読んだと書かれてあった。

爽やかな西からの風の到来。とても、うれしかった。詩を読むということがこんなにも生命力をもって立ち現われてくる場面に出会って、何だかわからないが、その余波が自分にも及んでくるのを感じていた。十回ほど、「もっと強く」を読んだと書かれている手前のところに彼女はこんなふうに書いていた。

お店に行った時、棚に石垣りんと新川和江の詩集がならんでいたでしょう。この、ウィルスを前にして、みんながイライラしたりきゅうくつさを感じている社会にあって、私はちゃんと心を健やかに保って、ほしいものはほしい、やりたくないことはしないと言葉と態度で示しながら生きてといくぞー、と心に誓ったのでした。

詩線をつなぐ

夏にこんなことがあり、秋から冬へ時間は移り、ぼくの中に「詩線をつなぐ」というイメージが生まれてきていた。ぼくは、この手紙を読んだ時、自分自身がこのように茨木のり子の詩線をつなげて生きることを望んできたのだと気づいた。

〈詩を読む〉という行為がそもそもそういうことなのだが、Ⅿがそのことをあまりにも鮮やかに垣間見みせてくれたので、はっきりさせることができたのだ。

「詩線をつなぐ」というのは、詩の言葉を受感し、その言葉の力を生きる力に転化するということだ。そのことが詩に関わっての第一義的活動である。それでよい。それでよいのだが、「もっと強く」を読んでいると、戦後詩が身を置いていた社会的情況と現在の僕たちが身を置いている社会情況の違いを強く意識することも事実なのだ。

そのとき、茨木のり子の詩的イメージとことばそのものを現在の情況のなかに創造的に転化させることができるなら、それはどんな詩になるのだろう、という考えが生まれるのは自然なことではないか。

この時、ことばや形式を踏襲する程度が強ければ、いわゆる「本歌取り」の形式をとることになり、元の詩のことばや形式からの飛躍と独立的展開が強まれば、それは詩的創造一般のありかたになるだろう。いずれにしても、これを「詩線をつなげて」のさらなる活動と考えてみることができる。

準備していく

ぼくたちは今、新しい情況に向けて準備していく時代を生きはじめている。新しい情況というのは、地球温暖化(気候変動)問題に象徴される人間の在りよう全般のトランジション(移行・転換)ということなのだが、そのためには、これまでの経験、知識、感性、ことば、の再生と更新にかかわる多くの試みが必要だろう。

たとえば、この事態を語るのに、「人新世」という新語を使うことが始まっている。地球の歴史という枠組みを人間の歴史に食い込ませたこの使用法は、ぼくたちに新しい認識を迫る力を持っているのではないだろうか。

まことに、ささやかではあるが、そのような探求のひとつとして、このシリーズを始めようと思う。それで先の話にもどると、ぼくは、「本歌取り」とか、独立的展開とか、ということばを出したが、ぼくには詩の実作の経験はほとんどない。それでも、細い小径を歩くように、詩を読み続けてきた人間として、今こそ、詩の言葉の力を自分にしっかり引き寄せたいという思いが湧いてくるのを感じている。

そんなわけで、このシリーズは次の三つの部分から構成される。

Ⅰ 詩を読む〈今月の先行詩〉・・・戦後詩、現代詩、世界の詩などから、今の私たちにとって魅力的な作品を紹介する試み。
Ⅱ 2021年文学的考察・・・Ⅰを鏡にして現在を考察する試み。
Ⅲ 詩線をつなげて・・・Ⅰ、Ⅱを踏み台にして、新しい詩を生み出す試み。

Ⅲ 新しい詩の試み

序  こころの地面のためのことば

〈絶望の虚妄なることは
希望の虚妄なることと 相同じい〉

私のかたわらに 半世紀近くあった
このことばが 今 自分の中心に やってきていた

〈絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じい〉
魯迅(ろじん)「希望」『魯迅選集第一巻』竹内 好(よしみ)訳(岩波書店) 1956年

 

少しことばを足して憶えていた

魯迅(ろじん)も竹内 好(よしみ)も
このことばとともに歩んだ

辛亥革命の前も後も 荒野であった
十五年戦争 その戦中も戦後も 荒野であった
私は 荒野に立っている と思ったことなどなかった

実に 半世紀も 脇にあるだけだった
このことばが 今は 真ん中にあり
進め というのであった

2020年 コロナ禍 世界を席巻
並行するように
気候変動危機の 世界の波
この国に至る

わが身辺に
子供たちのための緊急アクション
トランジションタウンへの提起

わたしもこの情況の中にあり
わたしたちがこの情況の一端を担う
ささやかでもいい
一人一人が それぞれに

届け このことば
仲間の こころの地面に

〈絶望は虚妄だ、希望がそうであるように!〉
『魯迅(ろじん)文集2』竹内 好(よしみ)訳(ちくま文庫)1991年

*「絶望は虚妄だ。希望がそうであるように!」ということばは、ハンガリーの詩人ペテーフィ・シャーンドルのことば。魯迅が「希望」(『野草』所収)で引用して、我が国では広がったと思う。わたしの中でも、このことばは魯迅とともに記憶している。

 

もっと強く 再びの

〈もっと強く願っていいのだ
私たちは明石の鯛がたべたいと〉

〈もっと強く願っていいのだ
わたしたちは朝日の射す明るい台所がほしいと〉

茨木さん
あなたのことばを リフレーンすることは
今も 私たちの喜びである

しかし
私たちの日々の現実が
この喜びに影を投げかける

あなたが 鮮やかなことばで掲げたものは
均一化した色調で 過剰に 実現されて 今
私たちの手にあるから

あなたの時代の願いが
生産と消費の増殖する幾サイクルを経て
辿り着いた この国と この星の 危機の現状
それを 誰が想像しえただろう

わたしたちは途方に暮れている

私は けんめいに
記憶を手繰り寄せようとする
こんなことを考えたことも
幾度かはあったように思うが・・・

それにしても
政府とニュースは数字ばかりを伝える
わたしたちは そんなふうには進めない


どこに?
自分の中?
それとも?

(ひと時の影に盲ず – めしいず)
(あんた ひとりで考えとろうが)
(あんひとにゃ かもめや 魚や 生きもんの
ついとらるるばい)

ようやくこんな声がやってきていた

そうか
一人称単数の檻の中

一人称単数現在の檻の中
で考えてしまう習性

そう気づいたとき
こころに 少し自在感が生まれてきていた

(どこからか 声が聞こえて来ていた
闇のむこうから
地の底から 海のむこうから)

そうだよ
〈もっと強く願っていいのだ〉
戦後女詩人の願いは
そのまま わたしたちの願いでもある

いまのわたしたちの願いは
それと同じものだ
同じものだが ちがうものだ
だから わたしたちは それを更新する

思い起こそう
ありきたりのあきらめと絶望との戦いの中に
あなたの リフレーンは生まれた
わたしたちはそれを引き継ぐ

あなたの 強い願いのリフレーンは
わたしたちの お仕着せの快適にまみれた
惰性と盲目を破る

わたしたちの戦いは
あなたの戦いと同じものだ
同じものだが ちがうものだ
わたしたちの戦いは
手強さを増すだろう

絶望より遠く
希望より遠く
わたしたちの願いがならぶ

もっと強く願っていいのだ
わたしたちは 生きとし生けるものの
地球の家を保ちたいと

絶望より遠く
希望より遠く
わたしたちの仲間の願いがならぶだろう

 

読者さまへ

お読みいただきました当連載は、パソコン+スマートフォンで読みやすくするために縦書きの原稿から、横書きに編集したものです。下記のリンクよりPDFをダウンロードしていただけますと、元の縦書きでお読みになれます。
〈詩線をつなげて〉第一回 高麗郷住民 上野 文康PDF

魯迅(ろじん)1881年9月25日 – 1936年10月19日
中国の小説家、翻訳家、思想家である。本名は周樹人(Chou Shu-jen)。最初の名は樟寿。字は豫才。浙江省紹興府の士大夫の家系に生まれた。父は周鳳儀、母は魯瑞、弟に文学者・日本文化研究者の周作人(1885年-1967年)、生物学者の周建人(1888年-1984年)がいる。中国で最も早く西洋の技法を用いて小説を書いた作家である。その作品は、中国だけでなく、東アジアでも広く愛読されている。日本でも中学校用のすべての国語教科書に彼の作品が収録されている。
竹内 好(よしみ)1910年10月2日 – 1977年3月3日
日本の中国文学者。文芸評論家。魯迅の研究・翻訳や、日中関係論、日本文化などの問題をめぐり言論界で、多くの評論発言を行った。

▼上野 文康もうひとつの連載

▼カフェ日月堂


この記事を書いた人

Cafe日月堂店主上野 文康
20世紀半ば、丹波篠山(兵庫県)の片田舎に生まれ、高度経済成長期 日本社会の誕生・生成・変貌のなかで少年・青年期を過ごしました。リベラルアーツを志し1970年代に大学で、その後約30年間高校社会科教員として学んできました。辿り着いた地平は、自分の生きている場をオルタナティブ・ライフ・センター(ALC)への道としてつくっていくことでした。その足場として高麗本郷に土と木の家を築いて10年。そして今、T・T・Koma というプロジェクトと出会っています。「トランジションへのみち」という記事を書いていくことは、私の地平(ALC)を私たちの地平(T・T・Koma)へと繋ぐノートをつくっていくことだと思っています。
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