〈詩線をつなげて〉第二回 高麗郷住民 上野 文康

〈詩線をつなげて〉第二回 高麗郷住民 上野 文康

2021年5月




 詩を読む(今月の先行詩)

 

海を流れる河
石原 吉郎

そこが河口
そこが河の終り
そこからが海となる

そのひとところを
たしかめてから
河はあふれて
それをこえた

のりこえて さらに
ゆたかな河床を生んだ

海へはついに
まぎれえない
ふたすじの意志で
岸をかぎり

海よりもさらにとおく
海よりもさらにゆるやかに

河は
海を流れつづけた

 

〈この詩は同名の単行本の中に収録されていて、詩の後に回想風の文が続いている。その中から、いくらか引用する。〉

いつの頃からか私には、海を流れる河というイメージが定着し、根をおろしてしまった。

私がたたずんだ地点から上流は、河の過去であり、下流は河の未来であり、たたずんだ私のはばだけが河の「現在」として、私の目の前にあった。そして私がたたずんでいるそのあいだも、河はつぎからつぎへと生まれかわるようにして、三つの時間帯を通過しつつあった。

河は永遠の継続、永遠の未完了として私の前を、ひたすらに流れつづけた。

石原吉郎『海を流れる河』(花神社)1974年

 

石原 吉郎 (いしはら よしろう 1915年 – 1977年) 静岡県田方郡の港町、土肥とい村 (現在の伊豆市) に生まれる。日本の詩人・エッセイスト・歌人・俳人。シベリア抑留の経験を文学的テーマに昇華した、戦後詩の代表的詩人として知られる。シベリア抑留経験者の中で石原吉郎は特異な存在である。

 

 2021 文学的考察

 

詩を書くという試み(前回の「もっと強く 再びの」)の中では、いくつもの問題にぶつかった。この試みは、戦後詩人茨木のり子の詩「もっと強く」への共感から出発しているが、その詩の力(それをぼくは詩線と呼んでいる)を、現在を生きるぼくたちのことばを生みだす、機縁にしたいという思いがあった。

七十年を隔てた時間の間に、文学的な橋を架けようとしたのだ。ここには、歴史的時間とどう対するかということが、避けられない課題として埋め込まれているのだが、そのことがなかなか分からなかった。

ジレンマが続いた。

茨木の生きた戦後期と私たちの生きる現在、それぞれの時代のとらえ方が平板で固定的であるうちは、詩行は立ち上がってこない。

一方で、茨木のり子の詩行も、書きあがった詩行として彫刻のように立っていて、詩線をつなげるとは言ってみたものの、動きが生じず、媒介となるものもないので、ことばが出てこない状態から抜け出ることができなかった。

詩が生成するには、その前提としての要件があるようで、今回の場合においては、この社会を、この時代を、どのように受感しているか、言い換えると、その歴史的場をとらえる感性の深度が問題となるようだ。

これは、詩の側から見ても同様のことがあり、書かれた詩行ではなく、書かれる前の詩行が生成する場、言わば詩線が生まれるベクトルを感じること、あるいはそこに想像力が及ぶことが必要なのだと思い至った。

これら二つのことを合わせて考えると、現実の渾沌・歴史的混沌とは社会的・歴史的な諸ベクトルが注いでいる場であり、その諸ベクトルへの反作用として詩線が生まれてくると考えられ、それが詩の現場であり、そこに身を置くことが詩を書く行為であろう。

歴史的場の動態、詩作の動態を、ベクトルという動線のイメージで考え、感じられるようになって来たとき、ぼくのなかで何かが変わってきたように思う。

▼茨木のり子についてはシリーズ第一回を参照

 

期待の次元 回想の次元

このようなことを考える過程で、歴史的情況をどう受け止めるかという身構えというか、方法をぼくは身につけてこなかったということにも思い至った。鶴見俊輔の『期待と回想』がこういうことについて考えている本であったことに、すぐ思い当たったので、読み直してみた。

はたして、そのとおりであった。『期待と回想』上下巻(晶文社)〔1995年刊〕は鶴見俊輔著作集全十二巻が出たのを機会に、北沢恒彦、小笠原信夫、塩沢由典の三人が聞き手となって、鶴見俊輔の仕事の全体について聞き出そうとした書物。「期待と回想」ということばの含意については、鶴見の、伝記の仕事についての章で、次のように語られている。

レッドフィールド(アメリカの人類学者)の『ザ・リトル・コミュニティ』という本にとても影響を受けたんです。こういうことです。「当時の見方と、それを振り返る現在の見方とをまぜこぜにしないで、一つを歴史の期待の次元、もう一つを歴史の回想の次元として区別する」

いまという状態でみると、未来は自分の不安と期待が混じりあって見える。その時期から十年二十年たってから振り返って見るときには、不安と期待なしで見えるわけですから、あたかも自分に先見の明があったように書けば嘘になるでしょ。この問題なんです。

私の中にはマルクス主義者に対する一種の違和感があるんですよ。人間の歴史を、同時代の出来事を含めてすべて回想の次元としてながめながらじつは期待の次元にいる。そういう側面をもっているということを忘れている。それはいいかえると神の立場に立って同時代を論じることなんです。それはいけないと思う。

以上、引用は『期待と回想』下巻25~29ページ

 

茨木のり子が「もっと強く」を書いた戦後復興期についても、現在の「気候変動待ったなし」の時代についても、ぼくの固定的な見方は鶴見の言う回想の次元に陥っていることが明らかだと思われた。過去の情況についてだけではなく、現在の情況について、つまりわが同時代についても、妥当する。これは、歴史認識の方法というより、むしろ歴史的感性の次元が問われている。こういうことが少しずつ分かって来た。

詩線というものを考えた時、回想の次元が解体を余儀なくされて、歴史の現場がリアルに出現してくる。詩にはそういう可能性があるのだろうか。これは自問として考え続けたいことだ。

 

鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ 1922年-2015年)哲学者、思想家。東京生まれ。1949年京都大学助教授、1954年東京工業大学助教授となるが、1960年日米安全保障条約決議に反対して辞職。1961年から1970年まで同志社大学教授を務め、以後、評論活動を中心に活躍する。

 

ここまで記してきたことを四月から五月にかけて少しずつ考えていたのだが、そのことと呼応するようにして、ぼくの中で始まったことがあった。それは、石原吉郎の〈海を流れる河〉ということばとそのイメージを巡って繰り返し考えるということ。

このことばは、出会った時、とても強い印象をうけたから、ぼくの中で、特別のことばであり続けたが、折節に、そのイメージを想いうかべるに留まっていた。

(実際には、一つの文章を書いていた。後述する。)

ところが、今年の授業の準備をしていて、このことばを授業ノートに思わず書き込んでいた。しかも、今年の授業イメージを託すことばとして。詩の試みを続けていることがこんな形で現れたらしい。

高校三年生を対象に「思想史と哲学」という授業を担当しているが、年初めのガイダンスで、世界全体を〈海に〉、それと取り組む思想家たちを〈流れる河〉に喩えて、語ろうというアイデアが湧いてきたのである。

このことばで語ることで、取り組む対象相互の間に、動きと流れが強く喚起されるという直感があった。そして、この力は、茨木のり子の詩と戦後社会を考える場合においても、気候変動待ったなしの現在を考える場合においても働くだろうと思われた。こんなふうにして、ぼくにとっては次なるステップがやってきた。

 

 詩の試み

 

世界と私 その交通の動的イメージのために

〈海を流れる河〉(詩人石原吉郎のことばです)というたとえが
この人たちにはふさわしい
〈海〉は 世界を
〈流れる河〉は 思想家を 指し示します
私たちは 小川くらいのものでしょうか
今年の授業では 遠山啓 吉本隆明
鶴見俊輔 林竹二 加藤周一
さらには マルクス プラトンなどの人々が登場します・・・

 

初めて 私は このことばを
自分のことばとして 語りだしていた
2021年4月 コロナ禍2年
「思想史と哲学」の授業ガイダンス
眼前に 参加する高校三年生 20数名
比喩の力が 私たちをつないでゆく

 

シベリア抑留から帰還への日々の中で
石原吉郎は〈海を流れる河〉ということばを生みだしている
シベリアの大地を流れる河は ついに
北氷洋に注ぎ入るのであったが
彼は そこに 永遠の未完了としての
時間の持続と厚みのイメージを託している

 

〈海を流れる河〉は 私の中に 根を張り
潜在力として 長く 宿っていてくれた
比喩の力は 歴然としていた
無限ともいえる水量と水流の圧倒的なイメージ
〈海〉という非情のベクトル
〈流れる河〉という意志のベクトル
〈海を流れる河〉は その相克と相互浸透の
諸相と構造の表現を喚起する
その喩の力の変奏を
私は 詩の共和国の一人として試みていくだろう

 

歴史的場といったって それは 日々の中にあるのさ しかし
歴史的場というからには 大きな長い時間の中でのことでもある
歴史的空間というからには 世界的広がりを言うのだが
歴史的空間といったって 自分の周辺こそが生の現場にちがいないのさ

 

この時空を分断せず 行き来する精神を私たちは求めていて
それを可能にするものこそが文学であるだろう

 

私は進んでゆく
次なるステップへと
〈海を流れる河〉という 喩の力とともに

 

私は進んでゆく
現実と 思想と 文学との
見えはじめた地図を
引き寄せながら

 

私は思い出していた
五年前 小田実の未完の巨編『河』全三巻(集英社)に挑戦
三年がかりで読みつないでいたが
彼の命日(十周忌) 7月30日から ラストスパート
8月15日 ついに読了

 

朝鮮人の父と日本人の母を持つ
主人公 玄重夫(ヒョン・ジュンブ)少年の
学びと冒険と 果てしない対話の物語は
ユーラシア人民 の解放と平和を主題に
1930年代 広州・上海を舞台に展開

 

『河』は〈海を流れる河〉を呼びよせた
まさに それが 〈海を流れる河〉であったのだから
私は「海を流れる河」と題する一文を綴り
この作品を こころに刻み 感謝のことばを表現した

 

とき おりしも 北朝鮮と米国の間に生み出された危機の夏
対峙するように 打ち出された 現役詩人の
一行の力 に感動

「私と業を分かち合う地球の子 ミサイルよ」

 

谷川俊太郎「ルバイヤートに倣って」(朝日新聞2017・7・26)
朝日新聞の上記記事のリンクはこちら

 

私の一文は この一行の引用で
高められ 引き締められた

詩の共和国の大先輩からのプレゼントに感謝
河は合流をくりかえしながら流れてゆく

 

小田 実(おだ まこと 1932年 – 2007年)大阪府大阪市出身。日本の作家・政治運動家。体験記『何でも見てやろう』で一躍有名になった。日本に多い私小説を批判し、全体小説を目指した。九条の会の呼びかけ人の一人。妻は画家の玄順恵。
谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう 1931年〜)哲学者で法政大学総長の谷川徹三を父として、東京都杉並区に生まれ育つ。日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。1952年、第一詩集の『二十億光年の孤独』を刊行。以来、多くの詩を創作し著書多数。鉄腕アトム主題歌の作詞、スヌーピーが登場する漫画PEANUTSの翻訳、1965年に公開された記録映画「東京オリンピック」にも脚本家として携わるなど活動は多岐にわたる。

 

▼本記事の原稿は、縦書きにて執筆したものです。元の原稿も下記よりPDFでダウンロードできます。
シリーズ〈詩線をつなげて〉第2回完成版

 


この記事を書いた人

Cafe日月堂店主上野 文康
20世紀半ば、丹波篠山(兵庫県)の片田舎に生まれ、高度経済成長期 日本社会の誕生・生成・変貌のなかで少年・青年期を過ごしました。リベラルアーツを志し1970年代に大学で、その後約30年間高校社会科教員として学んできました。辿り着いた地平は、自分の生きている場をオルタナティブ・ライフ・センター(ALC)への道としてつくっていくことでした。その足場として高麗本郷に土と木の家を築いて10年。そして今、T・T・Koma というプロジェクトと出会っています。「トランジションへのみち」という記事を書いていくことは、私の地平(ALC)を私たちの地平(T・T・Koma)へと繋ぐノートをつくっていくことだと思っています。
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