向日葵が揺れる夕暮れの巾着田にてオリンピックに思うこと。

向日葵が揺れる夕暮れの巾着田にてオリンピックに思うこと。

少しでも寝坊しようものなら、容赦のない太陽熱が僕(@ka_zz)の身体を照らしつけ、暑さと息苦しで気だるさと共に起きなくてはならない季節になりました。

もっと早く起きればいい、という話ですが、夜にダラダラと仕事をしたり本を読んでしまう癖が抜けず、体内時計がすっかり狂ったまま今年も夏本番を迎えました。少し前までは、鶯(うぐいす)の美しい鳴き声で清々しく起きた日々が遠い過去のようです。

さて、本来であれば2020年に開催されるはずだったオリンピックを今やっているわけです。

中止をすべきだという国内の世論と、開催しろと推し迫ってきたIOCと米国のテレビ局NBCをはじめとする利権側の板挟みとなっていた日本政府は、結局のところ開催することを選択しました。

僕の意見は、というと「どっちでもかまわない」と言わざるを得ません。

なぜなら?

我が家にはテレビが無く(僕の周囲、そして高麗エリアではテレビが無い家庭が多い)オリンピックを観ることができない、という単純な理由です。どんなに世間がオリンピックで盛り上がっていたとしても、テレビがない家庭では別世界で起きている出来事なのです。

とは言え、twitterを時々見るとオリンピックに関連するツイートがタイムラインに流れてくるので、否が応でも情報を目にします。日本人選手がメダルを獲得したニュースは、心なしか嬉しいですし、完全に無関心ではない自分を再確認しているここ一週間あまり。

そうそう、家にテレビが無い、という表現は正確には誤りでした。

家にテレビはあるのです。

今時の壁掛け液晶テレビが実はありまして、しかし、テレビアンテナには接続しておらず、代わりにAmazonプライムで映画を観たり、Abema TVで放映しているメジャーリーグ(野球)の試合を時々観ているのです。

▼参考記事:カフェ日月堂店主・上野さんによる連載

今回のパンデミック騒動のなか、時々、ホテルに泊まることがあって、ふとした時にテレビのスイッチを入れるとニュースやワイドショーが流れてきまが、怪しい宗教の洗脳装置のように、同じ内容を繰り返し繰り返し伝えています。コロナ陽性が何人出た、ワクチンはどうだこうだ、を朝から晩までずっと繰り返しいる様は、異様でしかありません。

2020年1月くらいから始まった新型コロナウイルスの感染爆発は、2021年7月末現在でも収まる気配はありません。

しかし、僕の周囲では陽性者ゼロ。それどころかPCR検査を受けた者もゼロ人です。

新型コロナウイルスが流行しているのはテレビの中だけの話じゃないですか!?

と、疑ってしまう僕でした。

話はオリンピックに戻りまして、テレビや新聞という旧世紀のメディアが無い家では、別の惑星の出来事に近い感覚です。別の見方をすれば、テレビ、新聞、ラジオがなければオリンピックは成立しないということで、最近ではロサンゼルスオリンピック以降、民間企業による資金提供がセットとなり、そこに大きな欺瞞が生まれたということでしょう。

出場する選手たちは、血の滲む努力を重ね、純粋な想いを持って試合に挑んでいます。

そこに感動が生まれるのも理解はしています。

目の前で一流のアスリートを観る機会があれば、スタジアムに足を運びたいとも思います。

しかし、テレビが無い暮らしでは、オリンピックも新型コロナウイルスも、遠い世界の出来事でしかなく、ただ淡々と日常が過ぎていくだけなのです。

埼玉の片田舎で、目の前にある仕事をこなし、時々畑にでかけては汗をかいて草むしり。疲れたら家に帰ってお風呂に入って、ごはんを作って食べて寝る・・

夏はまだまだ始まったばかりです。

ひまわり 巾着田


この記事を書いた人

GANESH代表TT高麗広報チームkazz
2018年夏、高麗に移住。職業はWebディレクター。集客型ホームページの制作と運営サポート、複数のWebメディアを主催。2010年、旅をした南インドで大聖者サティア・サイババに会ったことがキッカケで劇的な変化が人生に訪れ、ライトワーカーとして活動することを決意。

パーミーズに所属し、虫嫌いではあるがフィールドで活動している。早朝ジョギングと瞑想とインド旅が趣味である。
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